秋山巌の美術館 【公式】/ Akiyamaiwao Art Museum Official Website

秋山巌とふくろうの絵

秋山巌がふくろうを描くきっかけとなったお話

 

ふすま絵のフクロウを描く秋山巌

 

こちら↑の写真は、平成6年(1994年)ギャラリーオープン記念にお願いしたふすま絵の制作風景。

 

秋山巌のふすま絵「ふくろう」 由学館 所蔵

 

生誕100年企画展開催時に、大分県竹田市歴史文化館・由学館に寄贈しました。

 

愛嬌のあるふくろう、威厳のあるふくろう、秋山巌の描くふくろうは、魅力的であきることがありません。

 

ブログ初投稿でもふれましたが、秋山巌がふくろうを描くきっかけとなったお話を、

著作「化けものを観た」(1993年)より抄録します。

少し長くなりますが、ご興味のある方はどうぞ。

 

私のふくろうの絵について 秋山巌

 

「ふくろう」を描きはじめて、かれこれ三十年にもなろう。
どうして「ふくろう」を描くのか、とよく問われる。

「しちめんどうくさい」から「好きですね」と答えてきたが、
「何故好きか」と問われるとつい裏ばなしをしなくてはならなくなってしまうのだ。

 

山頭火の作品にもずい分とふくろうを描いたし、まだこれからも描くつもりである。

 

秋山巌の木版画ふくろう「福の神」

 

さて、「ふくろう」との出会いであるが、私が山頭火と出会う前は、民話の世界をモチーフとしてせっせと描いたり彫ったりしていた。

 

「アイヌ」の民話の中に「ふくろう」が出てきて、興味を持ち、よしやってみようかと思い立ったが、さて、「ふくろう」はいくらでも見てきたが、まだ描いたことはなかった。

 

そこで、その頃五、六歳だった次男を連れて、上野の動物園に出かけた。
次男は久しぶりに父親と遊べるから、はしゃいでいた。

 

こどもにもスケッチブックを持たせて動物園に来て、先ずは、あっちこっちと見せたり描かせたりして、最後に鳥舎のところに来てスケッチをはじめた。

 

猛禽類の檻に「ふくろう」はじっと動かずとまっていた。
前から、うしろからと何枚も何枚も描いた。

どうにも絵にならない鳥だった。

 

そのうち、こどもも倦きてきたらしく、お腹が空いたの、咽喉がかわくのと言い出した。
まあやむを得ん、そのつど菓子を買ったり、コーラを買ってきてはなだめていたが、
とうとう「お父さん、もうおうちへ帰ろうよ」といい出した。

 

むりもない、かれこれ五時間も引っぱり廻していたのだから疲れたろうし倦きもするだろう。
大人の私でさえ、少々かったるくなっていたのだ。

 

よしかえろう、しかしボクは何をかいたのか、と聞くと
いっぱいかいたとスケッチブックを出した。

 

何を描いたのかと一枚一枚めくってみた。虎らしいものや、蛇、うさぎ、亀も描き、
最後になんと「ふくろう」が描いてあった。

 

丸でかこみ、チョン、チョンと目をつけたり、耳をつけたりした絵とはいえない絵ではあるが、
私は「アッ」と驚いた。「ふくろう」がちゃんと描かれているのだ。

 

しかも生き生きとしたタッチである。

たった二枚の「ふくろう」のスケッチだったが、とても大人が描ける絵ではないのだ。

こどもの眼はまったくおそろしいなあと感じ入った。

私の「ふくろう」は、単に写した「ふくろう」でしかない。
いい絵だ、いい絵ができたね、よし帰ろう、よく描いたな、
と私は次男坊の頭をなでながら感動していた。

 

よし、この「ふくろう」を素にして創れば愉しくユニークな「ふくろう」が創れるぞ、
次男坊の手をひきながら私のこころはおどっていた。

 

「剽窃」ということばがある。「盗作」と紙一重というところだろうか。
有名な「ピカソ」にしても堂々と「剽窃」をやっている。
あまりにも堂々としていると世間はなにも文句をいわなくなるようだ。

私もこどもの作品を「剽窃」したことになるだろう。

 

あそび疲れて、電車の中で寝てしまったこどもを起こすのは可哀そうになり、

駅についてから、背負って、かなりの道を歩いたが、私は何も考えなかった。

いや、考えていたのは、「ふくろう」の構図だけだった。

 

そういう経過で、私の「ふくろう」は出来た。つまるところ原点はこどもの絵なのである。

 

 抄録は以上です。

 

いかがでしたか?

ふくろうの表情も、初期の頃からどんどん変化していきました。

これからも、ずっと愛されるふくろうだと思います。

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